突然だが私は6人きょうだいである。
今時珍しいし、高校の願書の家族欄が足りなくて
紙を付け足したのはWEB広しと言えど、そう居ないだろう(^-^;A
両親は特に音楽の趣味はなく、
二人の姉はユーミンや尾崎あみ、オフコース等をよく聴いていた。
兄は甲斐よしひろファンで高校生の時、フォークギターを始め、
上の姉の結婚式では「関白宣言」の替え歌を弾き語りで歌った男である。
上の妹はジャニーズにはしり、
下の妹は吉川晃司、松本伊代、プリンセス・プリンセスファンで
友達と組んだバンドでドラムスを担当していた。
そして私は姉の影響でオフコースなどを耳にしつつ、一応ジャニーズも
まぁまぁ好きかも...だったけど、歌番組のヒット曲を
口ずさむ程度で特別好きなタレントは居なかった。
そんな音楽環境だったので、耳に入ってくる音楽は邦楽ばかり。
「英語なんか意味わからんやん」という否定派でもあった。
中学の頃、友達が口伴奏でランナウェイズの♪チェリーボムを
「チッチッチッ・・・チェリーボーム!チェリーボーム!」と
歌ってても訳がわからず、KISSが好きだときいても
「キスが好きだなんてやらしっ!!」とか思ってた。
もちろん、当時はランナウェイズもKISSの存在も知らなかった。
そんな時、事件?が起きた。
兄がオリビア・ニュートン・ジョンのベストを買ったのだ。
「国語だけで精一杯やのに、なんでヨソの国の言葉勉強せなあかんねん」と
真面目に勉強してなかった中学の英語力では当然、
歌詞の意味も分からなかったけど、
でもオリビアの透きとおる声が綺麗で、
ジャケットのオリビアも綺麗でなんか好きだった。
テープに録ってよく聴いてたけど、そのうち、もっともっと他の
曲も聴きたいと思うようになり、FMラジオの存在を突き止め、
たまたまチューニングがあったのが「POPS BEST 10」。
日本語がめちゃくちゃ上手いセ−ラ・ローウェルさんがDJを努める
洋楽ベスト10番組だ。とりあえず、全曲録ることにした。
セ−ラさんが紹介する英語は早くて、アーティスト名やタイトルが
なかなか聴きとれなくて苦労した。
そして、運命の一曲との出会い。
ラジオから聴こえてきた一曲がとても好きになった。
耳に残るフレーズ
「ドゥドゥドゥドゥ・・・ドゥッドゥ〜」
(カタカナで書くとなんかマヌケっぽいぞ)
歌うアーティスト名『デュラン・デュラン』はなんとか聴き取れたけど
タイトルが聴きとれなくてカセットレーベルの欄が埋らず、
ずっと気になってた。
数日後、偶然友達が見せてくれた雑誌で初めてデュランのメンバーを見た。
おぉ〜っなんちゅうかっちょよさ!!
その記事をもらって間もない頃、夜中のテレビ番組にデュランの名前を発見。
小林克也氏司会の「BESTHIT USA」だ。その日のスペシャルでデュランの
2曲のライブが流され、夜中に夢中でみていた。
画像的は曇っててメンバーの顔もはっきりわからないようなライトが暗いライブだったけど、彼等のライブは衝撃的だった。
この日の放送でタイトルの分からなかったあの曲がランクインしてて
やっと♪Hungry Like The Wolf...と空欄だったタイトルをレーベルに書き込めた。
オリビアも洋楽にはまるきっかけにはなったが、
本格的にのめりこんだのは、やはり後に永遠のアイドルとなる
デュラン・デュランが居たからだろう。
それからは、毎日ラジオとテレビ欄の洋楽番組をチェックし、
沢山のアーティストと出会った。本屋では洋楽雑誌を発見し、
当時人気絶頂だったデュラン・デュランは載ってない本がなかったので、
こづかいのない私はやり繰りが大変だった。
でも万引きはしなかったぢょ...って当たり前だっつうの!
1983年 80sに憑かれた記念すべき年である
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