HISTORY of DURAN DURAN & me

【結成】


1978年頃。イギリス・バーミンガム。当時アートスクール(日本でいう専門学校みたいなもん)に通ってたJohnは幼馴染みのNickを誘い、他の2人を加えたメンバーで活動を始めた

【ミニ歴史】


-1980年-

ニュー・ロマンティック・ムーブメントが盛り上がる中、翌1981年にプロモビデオがSEXY過ぎると問題になった「Girls On Film」がヒット。1stアルバム「Duran Duran」リリース。MTVをうまく利用した「MTVの申し子」とも言われ、人気は世界的なものになる。
-1985年-
John&AndyがプロジェクトPower Station結成。
Simon&Nick&RogerがArcadia結成し、Duranとしての活動は休止。
-1986年-
Roger&AndyがDuranを脱退(ToT)
-1990年-
Roger&Andy脱退後、バンドをサポートしていたWarren&Sterlingが正式加入。(Sterlingはすぐに脱退)
-1997年-
Johnが脱退(これはかなりショックだった)
-2001年-
6月に来日。その後Warrenが脱退し、
オリジナルメンバーJohn&Andy&Rogerが
Duranに戻ってきました(^○^)
-2003年-
オリジナルメンバーによるプレミアライブが大阪からスタート。
夢のライブが実現、大成功だった

【バンド名】

ジェーン・フォンダ主演のエロSF映画『バーバレラ』に出てくるキャラクター「デュラン デュラン」から。当時X指定(成人映画)だったらしいが今見ると、どこが成人映画なの?と思う程、さわやか。JohnやNickがコレを見てドキドキしてたのかと思うと微笑ましいぞ

【ファン】

熱狂的なファンはDURANIES(デュラニーズ)と呼ばれていた

【メンバー】
※詳細は各メンバーページで

4人で活動しだしたバンドであったが、結成半年で他の2人のメンバーが脱退。その後、何人かの参加、脱退があり、1980年、黄金メンバー(★印)で活動を始める。どの時代を黄金と感じるかは個人差があるでしょうが、あたしにとっての"黄金"です

Simon Le Bon
サーモンが好きなヴォーカリスト。ちょっと重たそうな体で踊る

Nick Rhodes
A・ウォ−ホ-ル好きなキーボーディスト。嫁さんより美しい男である

Roger Taylor
物静かでシャイなドラマー。ヘアスタイルがあまり変わらない。業界から引退
(2001年にバンドに復活!)

Andy Taylor
裸足が好きなギターリスト。西城秀樹に似ていると言われていた。脱退後はソロ
(2001年にバンドに復活!)

John Taylor
私をメロメロにしたベーシスト。日本での人気はダントツ。脱退後はソロ
(2001年にバンドに復活!)

Warren Cuccurullo
目線がsexyなギタリスト。Andy脱退後に参加
(2001年にバンド脱退。元居たミッシング・パーソンズに復活!)

Sterling Cambell
しばらく在籍後、わりとすぐ脱退してしまう。なんちゅう紹介(^-^;A

【TAYLOR】

メンバー3人の名字がTaylorなので兄弟かと思われがちだった。小林克也氏にインタビュ−され『あ〜、イギリスぢゃよくある名前さ』っとJohn

【デビュー】

1981年1月 ♪Planet Earthでデビューを果たす

【ニューロマ】

「ニュー ロマンティック ムーブメント」と呼ばれたサウンドや化粧、白いふりふりフリルのブラウスのファッションの火付け役であった。今でいう"ヴィジュアル系"であろうか・・・

【ビデオ】

80年代、プロモーションビデオ抜きにミュージックシーンを語ることはできないであろう。24時間放送し続けるMTVをフルに利用したDURANのビデオは秀作が多い。裸の女性が登場し、ぼかしまで入る「GIRLS ON FILM」 は、MTVで放送禁止となった。その昔、モトリークルーが「GIRLS GIRLS GIRLS」のX指定バージョンを作っていたけど、エロ度は比ぢゃなかったっす(^-^;A
エロと解釈するか、芸術と解釈するか・・・うむ・・・。
「THE CHAUFFEUR」では乳丸出しのお姉ちゃんがくねくね踊り続けます。でもモノクロで綺麗〜なのだ。「NIGHTBOAT」はかなりホラーな作品です。名曲「SAVE A PRAYER」はスリランカを舞台にした美しい風景に見とれます。「ALL SHE WANTS IS」は大好きでCG?を駆使した楽しい作品です。とにかくDURANのビデオはバラエティ豊かでいつも刺激的

【ダイアナさん】

故ダイアナ元妃もDuranのファンで有名だった。'83にロイヤルファミリー主催のチャリティーライブに参加し、初めてダイアナさんに会い、メンバー全員大感激

【来日】

初来日は1982年4月。その後ライブやプロモ−ションで数回来日を果たす。2001年8年降り、6回目のライブは大盛況!!

【出会い】

1983年ラジオで♪Hungry Like The Wolfを聴いたのが最初だった。ルックスで魅かれたファンも多い当時には珍しく?サウンドが先だった。そして雑誌でルックスを見て、やっぱりホネヌキにされたのだった。アルバムを買い、Rock雑誌を買い情報を集め、生活の全てがDuranとともにあった。色々悩み多き年頃でもあったので、彼等の音楽は私のすさんだ?心を癒してくれ夢を与えてくれたのだった

【インターバル】

悲しいことに黄金メンバーのRoger,Andy,創立者のJohnまでもが脱退。次々と新しいスターがうまれ、Rock雑誌に載ることも減り、インターネットも普及してない時代ゆえ情報が入ってこなくなった。友達との会話でDuranの話題を出すと『まだ、おるん?!』って言われるのが悔しかった

【その後】

インターネットの普及でメンバーの活動情報もリアルタイムで知ることができ、何より今も変わらず熱い想いで応援してる現役ファン(新しいファンも)、とも知り合えて、今までDuranを好きでいて良かったって思う。今後も良い音楽を提供してくれる限り、好きでいるだろう。もしも、音楽活動が途絶えてしまっても、Duran Duranは私には永遠にspecialなのだ。
そして2001年、5月-
5人のオリジナルメンバーによる再結成が発表された!ますます目が離せないぞっ!!

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